第8回「平成26年度王寺町り~べるカレッジ」を開催しました
今回は、"シリーズ3「古(いにしえ)のこころ」の2回目を行い、『正倉院文書・木簡からわかる古代日本語』をテーマに、国語学を専門に研究する本学情報学部の桑原祐子教授が講演しました。
はじめに、桑原教授は正倉院と正倉院文書について紹介しました。1千年以上も保管された宝物の数々とその目録が残されていることに、「世界でも稀にみる貴重なことで素晴らしいこと」と強調。そして、正倉院の校倉造が湿気から宝物や文書を守ったという従来の説に関して、近年の研究と実験の結果から「保管したスギ製の箱の唐櫃が、湿度を一定に保ち守ったと判明した」と語りました。
次に、文書について紹介しました。正倉院文書は造東大寺司の下に置かれた写経所の残した文書群であること、そして、写経所文書がなぜ正倉院に残されたのかを、丁寧に伝えました。そこには、当時の人々の概念によるところが大きく、使用した紙をすぐには捨てず裏面も使用した後は、屏風の裏打ちや補強用に漆を塗って使用するなどリサイクルしたためと語りました。そのリサイクル待ちの文書が、何かのきっかけ(もしくは手違い)で正倉院に置かれたため現在に伝わることとなり、文書を通して当時を研究できるようになったと続けました。
また、残された文書と写経の文字とを比較した結果、仕事として取り組んだ写経の文字は丁寧なのに、同じ人が書いた欠勤願いやメモなど日常の文字は少々雑だと分かり、「いつの時代も人は同じようだ」と話すと、参加者も苦笑したりうなずいたりしていました。さらに、当時かな文字がなく漢字を使用していたが、日常会話は和音のため、漢語と和語の両方が見られるものの日本語で(読めるように)書かれていると話し、「漢語と和語が交じっていることは、現代の読み手にとって混乱しやすいので、解読には注意が必要」と続けました。
文書の例として、「丸部大人(わにべうし)の三通の休暇願」や「長屋王家木簡」などを挙げ、どのように書かれているのかを読み解きました。桑原教授は、「歴史書は内容を取捨選択しているもの。しかし、文書には日常が日本語(和音)で書かれている。展示会などで実際に見てください」と語って締めくくりました。
最後に、参加者からの熱心な質問に丁寧に答えて、今回の「王寺町り~べるカレッジ」を終えました。参加者から「かなり専門的な内容が含まれているのに、大変明解で、文書への理解が進んだ」「説明がとても分かりやすくてよかった」「正倉院文書に興味を持った」などの感想が寄せられました。
次回は、10月18日(土)14時から「<日本の心の歌>~童謡・唱歌を歌い継ぐ~」をテーマに開催します。気軽にお越しください。